火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja⑦ Sep.2019
プトゥラガン(火葬棺)が火葬会場に整列してから火葬が始まるまで4時間以上?とにかく長かった。
村の通りから出発したプトゥラガンが火葬会場に整列。
プトゥラガンの台の前にはこの5年の間に亡くなられた方の名前が書かれた紙が貼ってあります。だいたい一人のが多いようでしたが、一番手前3人、その向こう隣は5人の名前が書かれていました。
火葬が始まるまで会場に隣接する建物に大勢の人が集まってます。何しろ待ち時間が長く、ここで親族ごとに暑さをしのぐため集まり、昼ご飯を食べたりしてました。
亡くなられた方の為のお供え物と思われます。ここにも亡くなられた方の名前を書いた紙が貼られてました。 手前に並んでるのは人のような形に見えるが・・・。
プトゥラガンの中に遺品を収めるために胴体を大きなナイフで切っていきます。
このあと親族が順番に入場しプトゥラガンの中に遺品を収めて火葬となったのでしたが、これだけの数の親族が入場するので火葬が始まるまでまだまだ時間がかかります。
バリヒンドゥーの宗教儀礼を真近で見学出来るようなこんな機会にはなかなか巡り会えないので暑さと空腹に耐えながらもまだまだ見学は続いていきます。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja⑥ Sep.2019
朝8時頃から始まった準備も整い、11頃予定通り通りに並んでいたプトゥラガンが火葬会場に向かって順々に出発。村のPECALANG(自警団)がトラブルの無いように交通規制、プトゥラガンの誘導、進行を行う。バリでは村の行事はPOLISI(警察)よりPECALANGが仕切ります。男たちに担がれたプトゥラガンは十字路の真ん中でぐるぐる回る。これは亡くなった人が、家が恋しくて帰ることが出来ないように方向を分からなくし、無事に昇天するためだということらしく、反時計回りに3回転します。
プトゥラガンの上には亡くなった方の孫が乗るとのこと。小さな子どももいれば、青年もいますが、全て男性だったので、女性は乗ることが出来ないようだ。恐らく宗教上の何らかの理由があるのだろう。
こちらはプトゥラガンの上に一人、下に二人。5年に1度のイベントなのでこの5年のあいだに家族の数人が亡くなることもあるのだろう。
小さな子供が乗ってる場合は落ちないようにゆっくりと進んでいくが、中にはまるで日本のお祭り神輿のように勢いよくぐるぐる回転しながら、上下に揺らしたりするグループもありました。
火葬会場の手前の寺院の前で再びぐるぐる回った後、お坊さんから聖水をかけてもらってました。
写真左下の白い装束の方が僧侶。ちょうど聖水をかけているところ。
いよいよ火葬会場へ向かっていきます。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja ⑤ Sep.2019
暑くなってきたので日陰を求めてゲストハウスに戻りしばらく休憩することにしました。
ゲストハウスの家族や親族の方たちも大勢集まって準備に大忙し。数日前から連日女性たちが集まって準備していた。
ゲストハウスの中庭のバレに座って準備の様子を見ながら休憩していたらコーヒーとお菓子を出してくれました。このバリコーヒーが濃厚で甘く、とても美味しかったのと、お菓子は日本のウイロウの様な餅菓子でこれも美味しくペロリといただいた。
ここに座って元は学校の教師をしていたという親族のおじさんと色々とお話をさせてもらったことは楽しい想い出になりました。
バレでまったりしていると、ゲストハウスの主人から「そろそろ始まるよ」と声を掛けていただいたので外へ出てみると、通りは続々と人々が集まってきていました。
駐車禁止、通行止めになり、いよいよという雰囲気になってます。このころには見物のツーリストも増えてきて、ツーリスト目当てのサロン売りのおばさんもあちこちで商売に大忙し。
集会所の前にはガムランの打楽器もスタンバイ。続々と人が集まってきます。
プトゥラガンの前で親族揃って記念撮影。一族ごとにお揃いのクバヤとサロンを身につけている女性が多かったです。男性はTシャツやポロシャツのデザインや文字を揃えているのをあちこちで見かけたが、この日のためにわざわざ作っているのだろうか?
そうこうするうちにガムラン隊が集合、金属楽器が激しく打ち鳴らされ、いよいよ火葬会場へ出発です。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja ④ Sep.2019
時間が経つとともに続々と人々が集まってきて準備が進んでいきます。正装の男性女性と共に、だんだんと正装の子供達も家から出てきて準備を手伝ったり、見物したりしてます。
プトゥラガンが火葬会場へ向かうとき、死者の孫がプトゥラガンの上に乗ると聞きました。この男の子も本番を前に正装で準備完了といったところでしょうか。
こちらの家族も男の子がたくさんでお手伝い。正装姿がバリの男らしくバッチリ決まってます。
村の中心部の十字路にある祭壇の前。続々と村人が来てお供え物を供えたりしています。
いつもはタクシーの客引達がたむろしている場所は、今日はお坊さんが着座しマントラ?を唱えてました。
プトゥラガンの左にある椅子のような物は、ヒンドゥー寺院でも見かけます。これは神様が座る台座で神聖なものらしい。
朝8時頃から始まった準備からかなり時間が経ったが、いつになったら火葬会場へ向かうのかと思いながら一旦ゲストハウスへ戻ることにした。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja ③ Sep.2019
プトゥラガン(火葬棺)を順々に見て回るうちに、土台のところに絵が取り付けられてることに気がついた。見渡してみると全てのプトゥラガンの台に取り付けられており、準備作業の邪魔にならないよう、近づいてカメラに収めた。
こんな時バリ人は邪魔者扱いすることなく、むしろ「珍しいかい?さあもっと近くで見ていいよ、上手く写真撮れた?」など笑顔で喜んで接してくれる。
他のプトゥラガンより大きいルンブー。傘も取り付けられ、お供え物も添えられて一段落か。。。
人の姿をした神様だろうか?それと犬だろうか?ヒンドゥー教の神話の一節かもしれない。どの黒いルンブーにもこれと同じ絵が取り付けられていた。
こちら赤い怪獣のようなプトゥラガン、傘はまだ取り付けられてないが、お供え物は添えられている。
赤い怪獣のようなプトゥラガンにはこの絵が取り付けられていた。なんの絵かわからないが、中々興味深い絵だ。
昨年ギャニャールで見た合同火葬のプトゥラガンにはこのような絵は取り付けられてなかったので、地域・村によって異なる風習があるのだろう。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja② Sep.2019
2019年9月10日、5年に一度の合同火葬Upacara Pitra Yadnya当日がやってきました。前日、ゲストハウスの主人から8時から始まると聞いていた。7時半頃には道路沿いにプトゥラガンが並べられて、8時頃から村人達が集まってきて各家のプトゥラガンにお供え物や装飾の傘などの飾り付け始まった。
竹の土台のセッティングや傘などの飾り付けは男達の仕事。
黒のルンブー、その後ろは、頭は象で胴体はウロコ模様で尾ひれのある魚という不思議なプトゥラガン。
延々と並べられたプトゥラガン、これだけの数が一列に並んでいるのは圧巻である。
とりあえず一通り全部見てみようと、一番先の方までブラブラ見にいってみた。この後、火葬会場に並べられた数を数えたら全部で24体だった。
一連の儀式は2〜3時間で終わるのかと思って見物し始めたが、結局全てが終了したのは夜の9時を回っていた。私は疲れと空腹で夕方にゲストハウスに戻ったが、長い長い1日、まさにBig Dayの始まりでした。
火葬儀礼 Upacara Pitra Yadnya@Penestanan Kaja① Sep.2019
プネスタナン村の合同火葬を翌日に控えた9月9日の午前、ゲストハウスの部屋でのんびりしているとガムラン楽器の金属音がジャンジャカ聞こえきたので急いで外の通りに出てみた。
頭の上にお供え物を載せた女性を先頭に、大勢の人が行進してきた。チャンプアン方面へ下って行く途中に川があり、橋の脇から降りていった川のほとりに祭壇があったので、そこで何か儀式があったのかもしれない・・・。
ガムラン隊、近隣の人々が後に続いてやってきて、一団はそのまま真っ直ぐ火葬会場の寺院の方へ向かっていった。
集会所の1階に安置されているプトゥラガン(火葬棺)。牙をむき出した一見怖そうに見えるが、見慣れるとかわいいようにも思えてくる。金ピカの飾り付けがとても綺麗だ。
一回り大きいプトゥラガン、赤いのや黒いの、大小ある。
火葬当日、この竹を組み合わせた土台にプトゥラガンを載せ、男達がお神輿のように担ぎ上げて火葬会場まで行進します。
黒いプトゥラガンは牛かな? 牛のプトゥラガンはルンブーと呼ばれ、昨年ギャニャールでの合同火葬では白い牛のルンブーを見た。 牛や獅子、魚などプトゥラガンはバリヒンドゥー教のカーストにより決まりがあるとのこと。
いよいよ明日は5年に一度の合同火葬の日、ゲストハウスの主人や奥さんは「Big Day」と言っていた。